日本を代表する格闘家で記録にも記憶にも残る活躍を見せ、政治家としても活動するなどその影響力は大きく、「燃える闘魂」として多くの人々を魅了してきたアントニオ猪木(あんとにおいのき)さん。
今や後期高齢者となり、かつての面影とはまた違った印象を受ける人も多いかもしれませんが、皆さんはアントニオ猪木さんについて一体どれぐらいのことをご存知でしょうか?
今回はアントニオ猪木さんの生い立ちを含め、意外と知られていないその素顔について調査していきたいと思います!最後まで気軽にお付き合いください☆
プロフィール
【引用元】https://president.jp/articles/-/53312?page=1
名前:アントニオ猪木(あんとにおいのき)
本名:猪木 寛至(いのき かんじ)
生年月日:1943年2月20日
(現在79歳)
出身地:神奈川県横浜市
血液型:AB型
身長:190cm
職業:実業家・元プロレスラー・元政治家
事務所:CORAL Z
経 歴
1960年、「日本プロレス界の父」とも呼ばれる力道山(りきどうざん)さんからスカウトされたことがきっかけで、プロレスの道へと進むことになったアントニオ猪木さん。「世界の巨人」と呼ばれたジャイアント馬場(じゃいあんとばば)さんとともに、力道山さんの付き人として『日本プロレス』に所属します。
1966年、自身をエースとする『東京プロレス』の立ち上げるものの、3ヶ月で破産。その後も度重なる確執により、1971年に日本プロレスを追放されると、同年に『新日本プロレス』を旗揚げ。「プロレスこそがすべての格闘技の頂点である」と唱え、「異種格闘技戦」への挑戦を続けました。
各界の数々の英雄との対戦をしてきたアントニオ猪木さんですが、中でも「プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン」のモハメド・アリさんとの一戦は世界各国に中継されるなど、大きな反響を呼びました。
1988年には「スポーツを通じて国際平和」を合言葉に『スポーツ平和党』を結成。本名の猪木寛至(いのき かんじ)名義にて、政治家としても活動しています。
1998年の引退までプロレス界の象徴として多くの伝説を残してきたアントニオ猪木さん。以降は政治家として、実業家として様々な顔を持ち、その闘魂は衰えることなく、幅広い活動を行なっていますね。
生い立ちはコーヒー農家?
経歴でもご紹介した通り、力道山さんのスカウトによりプロレス界の扉を開いていることは有名なアントニオ猪木さんですが、それ以前の話についてはあまり知られていないですよね。ここではプロレスラーになる前のアントニオ猪木さんの生い立ちについて調査していきたいと思います。
10人兄弟の9番目という大家族の中で育ったアントニオ猪木さん。当時5歳の時にお父さんが死去。実家は「石炭問屋」を営んでいたそうですが、エネルギー資源が石油へと変わったことを背景に会社は倒産し、極貧生活を強いられています。
13歳の時に貧困から抜け出すために一家でブラジルへの移住を決意。当時の日本は戦後の不景気で失業者も多く、日本政府がブラジルに行けば広大な土地と安住できる場所があると煽るなど、国が推し進めていた施策だったようですね。
ところがブラジルでの生活は想像を絶するものだったそうです。到着後にサンパウロの「コーヒー農園」で働くこととなったアントニオ猪木さん一家。そこではコーヒー豆の収穫を中心とした仕事を朝5時から夕方5時までという、かなりの長時間労働を強いられていたようで、毎日の仕事終わりにはTシャツが固まるほど汗をかいていたと話しています。
また作業のたびに手がずるむけて血まみれになるほどで、まだ中学生だったアントニオ猪木さんは痛みを我慢しながら労働をこなしていたそうです。「労働契約1年半」で、その間には何があっても農園で働き続けなければならないという過酷な労働契約だったことから逃げ出すこともできず、ただ耐え続けることしかできなかったアントニオ猪木さん。そんな状況下で力道山さんと出会い、プロレスの道へと導かれたということには何か運命的なものを感じますね。
ブラジルのハーフ?
ブラジルに意外なルーツを持つアントニオ猪木さんですが、「ハーフ」説が浮上するほど、国籍に関する話題も多く飛び交っています。
ところが結論から言うと、アントニオ猪木さんは生粋の「日本人」ということになります。この「ハーフ」説については力道山さんの思惑があったそうで、南米での興行を成功させるための布石として、当初はアントニオ猪木さんを「日系ブラジル人」として売り出そうとしていたようなのです。
実際にアントニオ猪木さんが自身の生まれが「神奈川県横浜市」であると公表したのは、力道山さんがこの世を去ってからのことでした。以上より、当初の売り出しの名残りから未だにハーフ疑惑が囁かれているということがわかりましたね。
(※その他にもハーフと話題になっている方はこちら)
⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩
吉崎綾がハーフでかわいくない?高校時代がヤンキーで現在は?水着画像も!
山之内すずがハーフで目が離れてる?かわいい水着画像も!関西弁で性格嫌い?
荒木飛羽の母親&イケメン兄弟の画像!ハーフは嘘?幼少期はアトピー?
負の遺産とは!
偉大な伝説を残し続けているアントニオ猪木さんですが、一方で「負の遺産」も相当なものがあると心配されています。関係者の中では「究極の夢追い人」とも言われている、アントニオ猪木さん。うまい話を持ちかけられると乗っかってしまうことも多いようで、これまでも成功以上に多くの失敗もしているそうです。
その失敗とはお金に纏わることについても同様で、「金に無頓着」ということも相まってか、過去には負債もかなりの金額にまでのぼっていたとも言われています。破天荒なことをやる発想力と実行力でどれだけお金がかかっても突き進んでいく姿勢は、逆を言えば敵も作りやすいと言われているアントニオ猪木さん。
自身が座右の銘としている詩で「道」というものがあるのは有名な話ですが、道を突き進むにつれて負の遺産が増え続けないことを祈るばかりですね。
まとめ
いかがでしたか?
今では誰もが知るプロレス界のレジェンドとして君臨するアントニオ猪木さんですが、今回の調査でアントニオ猪木さんの知られざる意外な生い立ちを知ることができ、これまでのイメージとはまた違った印象を受けることができましたね。
これからも生涯現役で伝説を作り続けていくであろうアントニオ猪木さん。いつまでも元気な姿で突き進んでいってほしいものですね!最後までお付き合いいただき、ありがとうございました☆